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東京高等裁判所 昭和30年(く)40号 決定

本籍 埼玉県○○市大字○○○○○番地

住居 同県同市大字○○○○○番地

興業師手伝 少年 青田光一(仮名) 昭和十一年十二月十八日生

抗告人 少年

主文

本件抗告はこれを棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は

抗告人は母が長い間床に就いているので家に居て家事の手伝をしていた。忙しい時は田の仕事を手伝つたり、妹の面倒を見ていたのである。本件では抗告人が少年であり、安○祐○が釈放されないのが不服である。抗告人は身体が疲労していたので栄養剤の注射をしていたものである。これだけのことで中等少年院に送致されるのは不服である。抗告人は釈放後は真面目に働く考であるから、原決定の取消を求めるというにある。

仍て本件記録並に添附の少年調査記録によると、抗告人である少年青田光一は、既に昭和二四年三月小学校六年生の時友人二名と窃盗をして、浦和家庭裁判所熊谷支部で審判不開始決定を受け、その後中学校に入学しても登校を嫌い中学校三年で中途退学し、昭和二六年一二月八日熊谷市において窃盜(掏摸)をして昭和二七年四月二八日同裁判所において保護観察処分に付せられ保護司の指導保護に委ねられたが、その成績は昭和二九年四月頃から不良となり、以前の勤先である熊谷市○○パン店に復職の機会が与えられても出勤することなく失業の儘同市内のパチンコ店に出入し、家庭を嫌つて不良友達の安○祐○方に止宿し更に同年七月頃からは同市の大沢倶楽部に出入し殆ど同所に止宿して正業に就かず、不良仲間と交遊し同年四月頃からは覚せい剤の注射をするようになり、同年一〇月同裁判所より三回も呼出を受けながら一回も出頭せず、昭和三〇年一月頃は連日パチンコ屋に出入して遊び保護司の面接を避けて面接せず、遂に同年二月四日午後七時頃同市大字○○○○○番地パチンコ遊技場○○○○センターで、右安○祐○が「当り玉が入つたのに玉が出ない」と同店々員大○磯○と争つていた際、この口論に加わり、安○と共謀の上大○を戸外に連れ出し手拳で同人の顏面を殴打し、同人に両眼瞼皮下溢血、鼻根部裂創及び鼻中隔骨軟骨折等全治三週間を要する傷害を与えるに至つたものであり、少年の知能程度は正常であるが、その性格は意思薄弱が濃厚であつて、怠惰であり、持久性に乏しく、覚醒剤の注射も少量ながら続けているものであり、しかも少年の父は米のブローカーをしているので新潟東京間を往復している上、前橋市に居住する婦人と親密な間柄で家庭を顧みないため一家は経済的に困窮している状況にあり、母は約一〇年前から神経衰弱で病床に就いており、同居している兄久平も神経衰弱に罹つている外同人には、窃盜等の前科もあつて、家庭における少年の保護能力は皆無に等しいことを認めることができる。以上のような少年の非行歴、家庭環境、性格、本件非行の態様、その危険性等を考えると、抗告人である少年が所論のように家事の手伝をしていたものであり、又今後は真面目に働く旨を述べていても、少年が不良仲間との交遊を絶ち、更生の実を挙げるようにするためには、少年を相当期間施設に収容し矯正教育を受けさせる必要があるものといわねばならないから、原裁判所が少年の心身の状況竝に年令によつて少年を中等少年院に送致する旨の決定をしたのは相当である。

仍て抗告は理由がないから少年法第三三条、第一項に依りこれを棄却することとし主文の通り決定する。

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穗 判事 山岸薫一)

別紙(原審の保護処分決定)

昭和三〇年少第二八六号

決  定

興行師・手伝

氏名 青田光一(仮名)

昭和十一年十二月十八日生

本籍 埼玉県深谷市大字○○○○○番地

住居 同県同市大字○○○○○番地

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

一、非行事実の要旨

少年は、昭和三〇年二月四日午後七時頃、埼玉県○○市大字○○○○○番地パチンコ遊技場○○○○センターに於いて、共に興行師○○方に出入している安○祐○が「当り玉が入つたのに玉が出ない」と同店々員大○磯○と争つているので、安○と共謀の上、警察で話を付ける」と大○磯○を戸外へ連れ出して手拳で同人の顏面を殴打し、よつて両上眼瞼皮下溢血、鼻根部裂創並びに鼻中隔骨軟骨々折により全治三週間を要する傷害を与えたものである。

二、適用法条

刑法第二〇四条、同第六〇条。

三、主たる問題点

少年は小学校三年頃より子守りや留守番などのために学校を欠席することが多くなり小学校六年の時悪友二名と共に窃盜をなし、当庁に於て審判不開始決定となつた。

その後中学校に入学しても出席率は悪く、中学校三年を中退して○○市○○パン店につとめたが約一年でやめ、その後転々と職をかえていた、その間、昭和二六年一二月八日熊谷市にて窃盜(掏摸)をなし、昭和二七年四月二八日当裁判所にて保護観察処分となつて保護司の指導保護に委ねられたがその効果もあまり期待できず、昭和二九年一月頃家出し、悪友との関係が深くなつて覚せい剤注射を始め、また興行師の家に寄食してふしだらな生活を送つていた。

少年の知能は正常であるが、性格は意志薄弱であり怠惰で持久性に乏しい。

又少年の父は現在、米のブローカーをなしており、新潟、東京間を往復して家庭によりつかず、賭博、食糧管理法違反の前科もある。母は十年前頃より神経衰弱で病床にあり、兄久平も窃盜、強盜等の前科もあつて家庭環境は不良であり、少年に対する保護能力はみとめられない。

よつて少年の更生を図るには相当期間施設に収容し、矯正教育に付することを相当と認め、少年法第二四条第一項第三号により主文の通り決定する。

(昭和三〇年五月二日 浦和家庭裁判所熊谷支部、裁判官 大塚淳)

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